【ざっくり言うと】
✅ まだ多くの人の職業選択の思考モデルは ”昔の日本” のまま
✅ やりたいことを実現するのに “昔の日本” が足かせになっている
✅ 日本は、世界的な時代の流れから遅れている。でも海外ならチャンスはある
こんにちは、『自由になる勇気』管理人のマサルです。
本日は、
「日本ではやりたいことができない!?海外にも目を向けてみては?」
と題して、お届けいたします。
2018年12月31日の朝日新聞にこんな記事がありました。
これを読んで、
時代錯誤な “昔の日本” が、やはり現代の日本の足を引っ張っているなぁって、興味深かったのでざっくりと紹介します。
登場人物
今回の登場人物は以下の3人です。
①起業家の永田公平さん(20)
②研究者の河野洋治さん(44)
③起業家の杉江理さん(36)
記事の要約と所感
①起業家の永田公平さん(20)のケース
<記事要約>
「経営者になりたいんです」
高校3年生の時の進路指導で切り出した時の教師の顔を忘れない。
鼻で笑われた。
そのとき、海外への思いが強まった。
「先生の反応は、昔の日本っぽいなって」
いい大学へ行き、大企業に入れば、年功序列で安泰。
現在は、マレーシアでシェアハウスを経営している。
自身もここで寝泊まりしながら、新規事業の立案や投資家集めに精を出す。
これまでの経緯はこうだ。
1998年生まれ。
バブル崩壊後の「失われた20年」を生きてきた。
同級生は、きのう見たテレビの話ばかり。
サラリーマン営業の父親は、いつも疲れて見えた。
そういう自分だって、勉強も運動もパッとしない。
敷かれたレールの上に乗せられるのか。
家族でのシンガポール旅行で転機が訪れた。
現地で起業した父親の友人は、一等地にオフィスを構え、目を輝かせて仕事に打ち込んでいた。
「自分もこうなりたい」
英語は「ハロー」程度しかわからないというのに、高校卒業を待たずに海外へ。
ネットで支援を呼び掛けて約180万円を調達し、2018年9月にシェアハウスを始めた。
将来は日本に戻るのかと尋ねると、こう返ってきた。
「世界にこんなにたくさん国があるのに、なぜ日本じゃないといけないの」
いまでも多くの日本人は、永田さんの教師のように、良い大学に行き、大企業に入れば、年功序列で将来は安泰、というロールモデルを忘れられない。
それは、バブル崩壊以前の昭和時代までちゃんとワークした成功体験だからだ。
ただし、それは、「人口が増え続ける」「経済が成長し続ける」ことが前提にあったことを忘れてはならない。
1990年代以降は、人口減少や高齢化は沈むスピードを加速させ、経済大国を誇っていた日本は、ゆっくりと沈みゆく船のように低成長にあえいできた。
大手コンサルティング会社の調査によれば、2050年のGDPはインドネシアやブラジルにも抜かれるそうだ。
ならば、と人々が古くなった船を下りていくことは避けられない。
〈スポンサー様広告〉
②研究者の河野洋治さん(44)のケース
<記事要約>
「日本では、やりたいことを十分にできない。」
奈良県の大学院で病気に強いイネの研究をしていた河野さんは、4年前に中国に渡った。
研究ポストが不足し、十分な研究費を捻出できない日本に、将来の望みは薄かった。
中国科学院の国際公募に応じ、いまは准教授。
研究室の立ち上げに動員は数千万もする機材をそろえてくれた。
研究費は日本時代の3倍。
「やりたいことを制限せずにやれる」と満足する。
日本で生み出される論文数は主要国で唯一、減少傾向だそうだ。
研究力の弱体化は、さらなる「頭脳流出」を招くと述べられている。
また、1989年の世界時価総額ランキングでは、上位50社中32社が日本企業であった。
2018年の世界時価総額ランキングでは、何社の日本企業が上位50社にランクインしたかご存じだろうか?
1社だ。
(参考文献:昭和という「レガシー」を引きずった平成30年間の経済停滞を振り返る | 今週の週刊ダイヤモンド ここが見どころ | ダイヤモンド・オンライン)
あくまでも時価総額のみでの比較軸ではあるが、企業の競争力も相対的にどんどん低下していっている。
そうなると、個々人としては、活躍の場を日本ではなく、より待遇の良い海外に目を向ける選択になるのも無理はない。
緩やかに沈没していく船の上で、従来通りの生き方を続けるのか、他の船を探すのか、自力で泳げるように努力するのか、いま我々は選択を迫られている。
③起業家の杉江理さん(36)のケース
<記事要約>
「こんなことで怒られて、日本はつまらない」
当時、日産の開発本部で車のデザインを担当した杉江さんは、そう振り返る。
週末には他社の友人と、モノづくりに取り組んでいた。
「自由な発想で生み出したものは会社のためにもなる」
と、意気込んでいたが、会社からは副業規定に抵触すると、たびたび注意された。
入社2年半後に退職。
その後、フリーランスとして、数年、世界各国での生活を経験した。
そこで「どこでも生きていける」と自信がついた。
そして、自分の目で見たものを信じようと決めた。
帰国後の2012年に、電動車いすのベンチャー企業の「WHILL(ウィル)」を設立した。
ソニーとオリンパスにいたモノづくり仲間2人と「あらゆる移動の障壁がなくなる未来」を思い描いた。
資金調達のため、本社をシリコンバレーへ。
2018年6月には、将来の事業展開のため、本社を日本に移した。
いまは半分を日本、半分を欧米やアジアで暮らす。
地球をまわり続けてわかったのは「好きな事をとことんやり続けている人は強い」ということ。
そして、やりたいことを実現するために国を移動して歩く人はいくらでもいるということ。
日本を出れば、仕事のやり方も生活も違うが、「郷に入っては郷に従え。現地のやり方に合わせるだけ」。
気負いも、悲壮な覚悟も必要ない。
日本企業の多くには、「本業に集中させよう」と副業をさせないルールが未だに存在している。
終身雇用も維持できないくらい企業は弱体化してきているのに、未だに「副業禁止」にしてるなんて時代錯誤もいいところだ。
もちろん、一つの事にひたむきに努力することを勝手に美徳とするのは結構だが、それを他人にも強制するのはいかがなものだろうか。
本業だけしかやらないことのデメリットもある。
それは、生活スタイルやコミュニティが変わらないため、思考が固定化されてしまい、既成概念のない自由な発想ができなくなる。
例えば、副業していないことが当たり前のコミュニティでは、収入を増やすためには、時給を上げる事に終始してしまい、ほかに自分の力でも稼いでいこうなんて発想に至る人は少ないだろう。
さらに、会社の中だけで仕事が完結してしまえば、自分でアンテナを立てて仕事を創造していくことはなく、仕事を与えられた仕事をこなすだけだ。
そうすると、「新しい価値を創造し稼いでいく」というビジネス感覚に磨きがかかることはなく、いつまでたっても「お金はもらうもの」という労働者思考から脱却することはできなくなる。
まとめ
まとめは、以下の5つです。
・「大企業に入れば安泰」は、かつてのイージーモード時代が生んだ幻惑
・”昔の日本” を前提とした忠告や批判に、もはや意味はないから聞かなくてよい
・好きな事をとことんやり続ける人は強いし、目も輝く
・日本でやりたいことができないなら、海外にも目を向けろ
・「お金はもらうもの」という労働者思考から脱却しろ
以上
ーーーー
僕のブログでは、このほかにも「自分らしい生き方・働き方」にフォーカスして発信しています。
「今回の記事が参考になった」とか、「自分らしく自由に生きたい」と思っている方は読者登録してもらえると嬉しいです。
Twitterでも発信してますので、よろしかったらご覧ください。
⇒マサル@『自由になる勇気』管理人 (@masaru_YAMAGATA)
↓↓ 日々の励みになりますので、「★+」または「シェア」をいただけると嬉しいです。